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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)9181号 判決

原告

井上明子

原告

小島明子

右両名訴訟代理人弁護士

小泉征一郎

川上三知男

被告

学校法人東京音楽大学

右代表者理事

野本良平

右訴訟代理人弁護士

岡村了一

前嶋繁雄

鈴木勝利

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告らの請求の趣旨

1  原告らが被告のピアノ科助手としての地位を有することを確認する。

2  被告は原告井上明子、同小島明子に対し、昭和五四年四月一日から毎月二五日限り各金二万一〇〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  被告は、教育基本法、学校教育法及び私立学校法に基づき東京音楽大学音楽学部及び同大学附属高等学校全日制課程等の学校設置を目的とする学校法人である。

2  原告井上明子(以下「原告井上」という。)は昭和四四年四月一日に、原告小島明子(以下「原告小島」という。)は昭和四六年四月一日に、それぞれ被告のピアノ科助手として雇用された(以下併せて「本件労働契約」という。)。

3  しかるに被告は、昭和五四年四月一日以降原告らのピアノ科助手としての地位を否認し、賃金を支払わない。

4  原告らの月額賃金は昭和五四年三月当時いずれも金二万一〇〇〇円であり、被告において賃金は毎月二五日に支払われることとされていた。

よって、原告らは被告に対し、原告らが被告のピアノ科助手としての地位を有することの確認と、昭和五四年四月一日以降毎月二五日限り各金二万一〇〇〇円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし4の事実は認める。

三  抗弁

1  期間の定めの存在とその満了

本件労働契約は、期間が一年と定められ、これが昭和五四年三月末日まで繰り返されたものである。すなわち、本件労働契約は、原告井上については昭和四四年四月一日から、原告小島については昭和四六年四月一日から、いずれも期間を一年とする毎年四月一日付の委嘱状の発行という形式で締結され、それが昭和五三年四月一日まで繰り返されてきたものである。しかし被告は、原告らに対する昭和五四年四月一日付の委嘱状の発行を差し控えることにした。したがって、被告と原告らとの本件労働契約は、前委嘱の日(昭和五三年四月一日)から一年を経過した昭和五四年三月三一日をもって期間満了により終了した。このように被告が原告らとの労働契約の期間を一年と定め、これを反覆した理由、その経緯等は以下のとおりである。

(一) 被告は、音楽教育の一環としてピアノ教育を行っているが、ピアノの実技指導はその性質上教員一人が学生一人を担当せざるを得ない。そこで学生数が増加すれば当然教員数も増加させなければならないことになるが、その全員を常勤教員をもって充てることはそれが理想ではあっても、現実には人材を容易に得がたいことや、経費がかさむ等のことから、極めて困難である。そこで被告は、昭和三八年以降の学生数の漸増に伴い、他の音楽大学同様、かなりの員数の非常勤教員を採用せざるを得なかった。

(二) かかる非常勤教員は、右のように、臨時の必要に迫られ一時的に採用されるものであるから、常勤教員と比較して、その労働契約の怪質と内容は全く異なっている。被告は、かかる非常勤教員の契約内容について、文部省大臣官房人事課長の「非常勤職員の任用およびその他の取扱いについて」と題する通知及び日本経営出版会発行の「学校法人諸規定事例総覧」記載の就業規則事例等を参考として、就業規則及び教職員服務規定等において、以下のようなものとして定めた。

(1) 雇用期間は一年以内であって、当該事業年度末をもって終了し、次年度以降に委嘱する場合は各年度始めに改めて委嘱する。

(2) 勤務時間は制限がなく、非常勤教員のあらかじめ提出した計画に従って決められる。

(3) 常勤教員と異なり、被告以外の兼務は制限されない。

(4) 賃金は時間給とし、賞与、退職金は支給されない。

(5) 非常勤教員は、研究と研究発表の義務を負わない。

(6) 常勤教員に認められる休職、休日、有給休暇、解雇制限と補償は認められない。また、定期健康診断、業務上の傷病・死亡に関する補償は行われず、私立学校教職員共済組合に加入することもできない。

(三) 本件労働契約も右のような内容のものであったのであり、被告は原告らを雇用するに当たり、長期継続雇用、常勤への登用を期待するような言動を全くとらなかったし、期間が満了した場合はそのつど直ちに委嘱状を交付して新たに非常勤教員としての委嘱を行い、新たに委嘱状を交付しない場合は非常勤教員としての労働契約は期間の満了によって終了する旨を周知させてきた。このようにして被告がピアノ科非常勤助手、講師につき、期間満了の際再度の委嘱を行わなかった例は、昭和四九年以降昭和五三年の間だけでも原告らを含めて一二例ある。

(四) 原告らには、本件労働契約が前記(二)の如き内容のものであることを知っていたと推認される以下のような事情が存在する。

(1) 原告らは、桐朋学園大学を卒業するとき、中学校等の教員免許を得ていたにもかかわらず、中学校等の常勤教員になる意思がなく、教員採用の試験を受けなかった。このことからすれば、原告らに期間の定めのない常勤教員になる意思があったことは疑わしい。

(2) 原告らは、桐朋学園大学を卒業すると同時に、母校である右大学附属の音楽教室にソルフェージュ及びピアノ実技のための教員として採用され、かかる雇用関係は現在まで続いている。したがって、その後原告らと被告との間で行われた本件労働契約が原告らにとって従たるものであり、臨時のものであったことは明らかである。

(3) 原告らは、被告との間に本件労働契約を繰り返してきた全期間中、原告らと桐朋学園大学との間に雇用関係があることを被告に告げなかった。これは、原告らが、本件労働契約が臨時の非常勤教員としての契約でその期間は一年であること、兼職が制限されていないこと等を当初から十分に理解していたからに他ならないものというべきである。

(4) 原告らは、被告の服務規程2に、「非常勤の講師、助手、及び研究員の委嘱期間はその年度限りとし次年度以降に委嘱する場合は各年度始めに改めて委嘱する。」と記載されているのを読んで知っている。

2  再雇用しないことについての正当な理由

前記1のように、本件労働契約は期間満了により終了したものであるが、仮に本件労働契約が何らの意思表示のない場合には当然に同一内容で反覆され、それを終了させるためには雇い止めの意思表示が必要であり、しかも右意思表示には正当な理由が必要であるとしても、被告は原告らに対し、昭和五四年三月六日付で同年四月一日以降の委嘱を行わない旨の雇い止めの意思表示をなしたものであり、かつ右意思表示には次のような正当な理由があった。

(一) 被告の大学では、昭和五一年から次第にピアノ科の学生が減少していって、昭和五四年四月には四年生が二六六名、三年生が一八一名、二年生が一七九名、一年生が一六二名となった。すなわち、四年生に比較して一年生の数は一〇四名も少なくなり、右の四年生が一年生であった当時に比較するならその全体の数は約三〇〇名も減少した。そこで被告は、昭和五四年四月一日からピアノ科学生の実技を担当する教員を削減することにした。

(二) その場合の方法としては、非常勤教員の再雇用を控えればよい。そこで被告は、原告らを含めて六名のピアノ科非常勤教員につき、昭和五四年四月一日からの再委嘱を行わないこととした。被告が再委嘱を行わない者として右の六名を選んだ理由はそれぞれ異なるが、原告らの場合は主として担当する学生数と出講回数とが少ないということにあった。担当する学生数と出講回数とが少なければ、それだけ学生と再雇用されなかった者への影響が少なくてすむからである。

四  抗弁に対する原告らの認否及び主張

(認否)

1 抗弁1冒頭の事実のうち、本件労働契約が期間を一年とする毎年四月一日付の委嘱状の発行という形式で締結され、それが昭和五四年三月末日まで繰り返されてきたことは認めるが、その余は否認する。

同1(一)ないし(四)の事実は否認する。

2 同2の事実のうち、被告が原告らに対し、昭和五四年度は原告らを委嘱しない旨の被告主張の日付の書面を送付してきたことは認めるが、その余は否認する。

(主張)

1 一年ごとの委嘱というのは被告の内部事情に基づく形式だけのものであって、実際には本件労働契約は期間の定めのないものであった。すなわち、

(一) 被告においては、非常勤のピアノ科助手等が恒常的に、かつ、多数必要であって、現実には非常勤助手等がレッスンの大半を担ってきた。このことは、被告が本件労働契約を含むピアノ科非常勤助手等との契約が文字どおり一年で終了するものとは考えていなかったことを示すものに他ならない。

(二) 原告らは、採用面接の際はもとより、その後においても、被告から、被告における身分、勤務条件等について何ら説明を受けなかった。このため、原告らは、一たん助手として採用された以上当然継続して勤務できるものと考え、毎年年度末の二、三月からは次年度のレッスン計画を立てていたし、被告もそのころ原告らに対し、次年度の雇用継続を前提として、新入生の個人レッスンの割当についての希望を徴する書面の提出を求めていた。このため原告らは委嘱状について特段意味があるものとは認識していなかったし、被告からの委嘱状の送付自体、早くて新年度の四月半ば、遅い時には七月から八月になるときもあり、年度によっては二年分が併せて送付されてくることもあった。

(三) 被告においてピアノ科非常勤助手等が再委嘱されなかったケースは被告主張によっても昭和四九年以降昭和五三年までの間で一二例とされているが、右五年間のピアノ科非常勤助手等の数はのべ約三五〇ないし四〇〇名と推測されるから、このことからすれば右一二例は極めてまれな例外的事例である。しかも、このうち現実にレッスンを担当していた者で再委嘱されなかった者は、原告らが初めてである。

2 仮に、本件労働契約が期限の定めのない契約とまで断定できないとしても、前記1(一)ないし(三)の諸事情から判断すると、本件労働契約は期間の満了ごとに当然更新を重ねてあたかも期間の定めのない契約に転化したもの、ないしは実質的に期間の定めのない契約と異ならない状態で存在していたものというべきである。したがって、被告の再委嘱しないとの通知は(少なくとも実質的には)解雇の意思表示に当たり、解雇に関する法理が適用ないしは類推適用されるものというべきである。

五  再抗弁(抗弁2に対し)

被告の本件雇い止めの意思表示は、以下に述べるとおり権利の濫用であり、かつ信義則にも違反し、無効である。

1  手続違反

原告らに対する本件雇い止めは、これにつき異議を述べ得る立場の教授等が一人もいない中で、しかも原告らの事情聴取等一切ないまま一方的に決定されたもので、手続の適正を著しく欠くものである。

また、被告の就業規則四条(「大学教員の採用は教授会の同意を得るものとする。」)及び八条(「大学教員の職務の変更等には教授会の同意を得るものとする。」)との規定からして、原告らに対する雇い止めについては教授会の同意が必要と解されるところ、原告ら助手等については教授会においてその名前を挙げることさえなされず、単に昭和五四年度に委嘱する助手等の名簿を回覧しただけであったから、実質的には教授会の同意があったとはいえず、この意味からも本件雇い止めは手続的に無効である。

2  雇い止めの必要性の不存在

被告は、昭和四九年度には定員の五・五三倍、昭和五〇年度には五・四九倍の学生を入学させていながら、学生数を偽って申告し、さらに減らした学生の分については二重帳簿まで作って隠蔽工作をし、国の交付金一億三千万円をだましとっていた。本件雇い止めは、これが発覚し、入学学生数を減らさざるを得なくなったため、その結果を何らの落ち度もない原告らにしわ寄せしたものである。

仮に生徒数の削減がやむを得ないものであるとしても、原告ら助手の賃金は担当生徒数による歩合制であるから、助手一人当たりの生徒数を減らせば足り、原告らを雇い止めにする必要はない。

結局本件雇い止めは、女性問題をめぐるスキャンダル、国からの助成金の詐取事件等の不祥事を重ねていた被告理事長野本良平が、健全な学校運営を推し進めたいとする武沢武教授を学外に追放する一環として、同教授の主宰するピアノ科第四研究室所属の原告らを狙い撃ちしたものに他ならない。

3  雇い止めの基準の不合理性

被告においてピアノ科教員は、何名の学生を担当するかを自分で決め、しかもその学生を週何回に分けて教えるかを任されている。したがって、年間出講数に特別な意味があるわけではなく、これを基準に雇い止めをすることには全く合理性がない。

六  再抗弁に対する被告の認否

再抗弁事実はいずれも否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1ないし4の事実(本件労働契約の締結、原告らの賃金等)は当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁1の事実(期間の定めの存在及びその満了)について判断する。

1  本件労働契約が期間を一年とする毎年四月一日付の委嘱状の発行という形式で締結され、これが昭和五四年三月末日まで繰り返されてきたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、右委嘱状は毎年度始め(四月)に原告らのもとに郵送されていたこと、その本文には「本年度の助手を委嘱する 担当科目ピアノ」と記載されていたことがそれぞれ認められ、(証拠判断略)、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実、とりわけ被告が毎年原告らに送付していた委嘱状の記載に照らせば、本件労働契約は当初から期間を四月一日から翌年の三月三一日までの一年と限って締結され、これが原告井上については昭和四四年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間に一〇回、原告小島については昭和四六年四月一日から昭和五四年三月三一日までの間に八回、それぞれ繰り返されたものというべきである。

この点について原告らは、被告はその経営上多数の非常勤助手等を恒常的に必要としていたものであり、かつ原告らと被告とは本件労働契約が長期間継続して存続するものと当初から認識していたものであるから、本件労働契約は当初から期間の定めのない契約として締結されたものであり、委嘱状は被告の内部事情に基づく形式に過ぎない旨主張するけれども、後記3のとおり、被告が多数の非常勤教員を必要としていたことは原告らの主張するとおりであるとしても、だからといって被告が原告ら非常勤教員を継続して雇用する前提で雇い入れたものと断ずることはできないし、被告に契約締結の当初からかかる意思があったものと認めるに足りる証拠もないから、原告らの右主張は採用することができない。

2  ところで原告らは、本件の如き短期の労働契約が反覆された場合、途中から期間の定めのない契約に転化したものと解すべきであると主張する。しかし、契約締結当事者の別段の意思の合致をまたずしてかかる法理を認めることはできないといわなければならない。したがって、この点に関する原告らの主張も採用することはできない。

3  また原告らは、本件労働契約は反覆を重ねて実質的には期間の定めのない契約と異ならない状態で存在していたものであるから、その雇い止めには解雇の法理が類推適用されるものと解すべきである旨主張するので、この点について判断するに、なるほど短期労働契約が期間の満了ごとに反覆更新され、その結果実質的には期間の定めのない契約と異ならない状態で存在しているものと認められる場合は、期間満了を理由とする更新拒絶(雇い止め)は実質的に解雇に相当し、その適否の判断には解雇の法理が類推適用されるものと解するのが相当である(最判昭和四九・七・二二民集二八巻五号九二七頁参照)。

そこでこれを本件についてみるに、(証拠略)を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  被告は、音楽教育の一環として、ピアノの実技指導を、大学音楽学部のピアノ科及び教育科の学生に対しては正科として四年間、同学部のそれ以外の学科の学生に対しては副科として二年間、また、附属高校のピアノ科の生徒に対しては正科として三年間、それ以外の学科の生徒に対しては副科として三年間、それぞれ行っているが、このピアノの実技指導はその性質上教員一人が学生(生徒)一人を担当せざるを得ない。しかし、被告においては、かかるピアノの実技指導を必要とする学生、生徒が多数存在する(例えば、昭和五三年度のピアノ受講生数は、大学生一九六二名、高校生三〇六名、合計二二六八名である。)のに対し、それに見合う常勤教員(教授、助教授、講師、助手)を確保することは、人材を容易に得難いこと、経費がかさむことなどから、極めて困難である。しかも、学生・生徒の数は年によって変動があり得るから、これに伴いピアノ科の教員の数も増減せざるを得ない事態が生ずることになる。そこで被告は、かかる必要性に対処するため、ピアノの実技指導のみを担当する非常勤教員(講師、助手)を多数雇用してきた(昭和五三年度については、講師三五名、助手四〇名である。なお、これに対して常勤教員は教授四名、助教授四名、講師一〇名、助手二名である。)。

(二)  かかる非常勤教員について、被告は次のように取り扱っている。

(1) 前記のように、非常勤教員はピアノの実技指導のみを行うものであるから、常勤教員のように講義を担当することもなく、また、研究、研究発表等の義務も負わない。勤務時間についての定めもなく、担当学生・生徒をいつ(曜日、時間)教えるかは各非常勤教員に任されている。

(2) 賃金は時間給とされ、交通手当等の諸手当は支給されず、賞与、退職金も支給されない。その所得は従たる所得と考えられることから、源泉徴収所得税の計算上は税率の高い乙欄が適用される。これに対して、常勤教員の賃金は月給制で、諸手当が支給されるほか、賞与、退職金も支給される。その所得は主たる所得と考えられることから、源泉徴収所得税の計算上は税率の低い甲欄が適用される。

(3) 雇用期間は、常勤教員の場合は定めなきものとされるのに対し、非常勤教員の場合はその年度限りとされ、次年度以降に雇用するときは年度始めに改めて委嘱状を発して雇用するものとされている(この点は、昭和五〇年四月一日制定の「東京音楽大学教職員服務規程」において、その旨明記された。)。なお被告は、非常勤教員を継続して再雇用する場合、その限度を概ね一〇回とする方針で臨んでいる。

(4) 被告の就業規則上、常勤教員は理事長の承認を得なければ兼務することができないとされているが(二七条)、非常勤教員にはかかる規定の適用はないものとされている(二条二項)。

(5) そのほか非常勤教員は、私立学校教職員共済組合に加入することができないものとされ、また、被告の就業規則上、常勤教員について認められている休暇、休日、有給休暇、解雇制限等の適用がないものとされている(二条二項)。

(三)  原告らは、いずれも桐朋学園大学音楽学部演奏学科ピアノ科を卒業後、被告の非常勤助手として雇用されたが、これと相前後して母校である同大学附属の音楽教室に就職し、原告小島はピアノの実技指導とソルフェージュの授業を、原告井上はソルフェージュの授業をそれぞれ担当して今日に至っている。この点につき、原告らは特段被告に申告してはいないし、被告もかかる兼職の有無につき原告らに問い合わせることはしなかった。

(四)  被告がピアノ科非常勤助手等を一たん雇用しながら、その後これを再雇用しなかった例は、昭和四九年度から昭和五三年度の間をとってみると、一二例ある(内訳は、昭和四九年度が助手一名、昭和五〇年度が講師、助手各二名、昭和五二年度が助手一名、昭和五三年度が講師一名、助手五名((うち二名は原告ら))である。)。

以上のとおり認められる。

右認定の事実によれば、被告のピアノ科非常勤教員は、あくまでピアノの実技指導につき常勤教員の不足を補うため、一時的ないしは臨時的に雇用されるもので、常勤教員とはその労働契約の内容、性質等を全く異にしているものといわなければならない。そして、右認定の被告の非常勤教員に対する取扱い及びこれに対する原告らの対応等に照らすと、原告らは本件労働契約が右のような性質のものであることを十分に知り、又は知り得たものというべきである。加えて被告には、原告らに対し、継続的雇用を期待させるような言動、取扱いをした形跡は窺われないから、原告らの継続的雇用に対する期待は、いわば主観的願望の域を出ないものといわなければならない。

かかる事情を考慮すると、本件労働契約は実質的に期間の定めのないものとして存続していたものとはいえず、本件雇い止めについては解雇の法理を類推適用する余地はないものといわなければならない。

4  そうすると、本件労働契約は、いずれも昭和五四年三月三一日の経過をもって期間満了により終了したものというべく、原告らは翌四月一日以降被告におけるピアノ科助手としての地位を喪失したものというべきである。

三  よって、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤壽邦)

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